雪が溶けると何になる?

僕が今、乞食のような生活をしているのは会社がヤバいから、ではありません。

2週間でバケツの底を塞ぎ、急速に会社を立て直しましたので。

むしろ、支出を極限まで減らしているので手元に残る資金、つまり利益は急速に増えています。

見る見る利益が増えています。

来期以降、また、決算書が真っ黒になりそうです。

(まっくろくろすけ)

なので、会社の業績と乞食の件は、直接的には関係がありません。

では、なぜ、乞食のような生活をしているのか?それは、また別の機会に。

ところが、乞食のような生活をしているうちに、気づいてしまったのです。

金持ちに憧れるのは三流。

高級車を乗り回すのが二流。

そして乞食を楽しむのが一流。

ということに。

なぜなら、心が豊かじゃないと乞食は楽しめないからです。

以前の僕はメンタルが病んでいた時に借金まみれで買った高級車を乗り回して喜んでいました。

今思うと二流ですね。

とは言え。

ホームレスは乞食を楽しめないでしょうね。なぜなら、好き好んで乞食をしているわけではないから。貧乏も然り。

貧乏と僕の言う乞食は決定的に違います。

【明確な目的】と【自らの意志】で乞食を楽しむ。

精神的に満たされた上での持たざる者。

いえ。手放した人。

それが乞食を楽しむ人です。

目指すは大富豪ではなく、

世捨て人でもなく、

大阿闍梨でもなく、

なんとかマスターでもなく、

乞食でした。

それこそ、地位も名誉も肩書きも自分のアイデンティティーすら持たない名も無い乞食です。

でも、それでいい。

でも、それがいい。

こんなに味わい深い生き方があるなんて。

僕は浅はかでした。

気づいた気になっていたのです。

まだまだですね。

まだまだですよ。

そのへんの欲にまみれたエロ坊主やクソ坊主、シャバ僧と一緒にしないでください。

カラ念仏に意味はない。

そして、頑張って断捨離をしたり、意識してミニマリストを目指しているうちはまだまだです。

乞食を楽しめるようになったら、ようやく、あなたも一流の仲間入りです。

歯を食いしばって、貧乏を耐え忍んでいるうちはまだまだです。

あなたには、まだ、地獄が足りない。

あなたには、まだ、絶望が足りないのです。

「絶望しろ」

親愛なるあなたにはありのままに告白します。

昼はうなぎ、夜は寿司。ホテルのバーでカクテルを飲み、ジュニアスイートに泊まり、洗濯はすべてホテルのクリーニング。

ここ数年は、そんな生活をしていました。白金のタワマンを解約して、ホテル生活に戻していましたので。

人によっては「湯水のようにお金を使う生活」と映ったかもしれません。

果たしてそうでしょうか?

クライアントさんからは喜んでお金をお支払いいただいてきましたし、支払うものは支払い、必要な資金を会社にプールし「その上で」です。

取引先への支払いも、家庭に入れる生活費も、オフィスの家賃も税金も社会保険料も、一括できっちり払ってきました。

1円の滞納もなく。

人に迷惑をかけることなく、やることをやった上での生活です。

人様に後ろ指を指されるようなことは一切していないつもりです。

だからこそ、堂々と告白できるのです。隠すなんて簡単です。言わなければいいだけですから。

何か問題ありますか?

お客さんに売り逃げしているわけでも、

家庭に生活費を入れないわけでも、

愛人を囲っているわけでも、

滞納しているわけでもありませんから。

そんな僕ですが会社の業績が回復しても、自ら乞食を選びました。

今やコロナの時に行政書士会から配布された「地味にダサいエコバッグ」を持ち歩き、

家計簿アプリとスマホの計算機を使い、地元のスーパーで500円以下のお弁当を買い、

店内のレンジでチンをし、お年寄りに混ざって、イートイン。ペットボトルに水を入れて持ち歩き、空になったら、行く先々で補充をする。

「小遣い」としては1ヶ月で3万円も使っていません。

カードだけは未だにシルバーですが。もはや緑で十分です。ブラックカードのインビテーションが届いても、辞退するでしょう。

今回の一件で、会社もスリム化したので劇的に利益が増えましたが個人的にも使う桁が2つ減りました。

「ホテルのバーでカクテル」なんてそんな生活は、もはや過去です。

今はスーパーで「お買い得」という赤いシールが貼ってある、139円のティラミスを買ってイートイン。

これが月に1回のプチ贅沢です。

「尊いなぁ」と思わず呟いてしまいました。田舎のスーパーの片隅で。

「乞食って最高」
「乞食って身軽」
「乞食って自由」

「なんで、もっと、早く、この生活をしなかったんだろう?」と自分でも不思議でたまりません。

決して強がりでも、感情に蓋をしているわけでもありません。

フツーに、ただ、ただ、そう思えるのです。

もちろん、ホテルのバーも楽しかったですが。

僕にはもう、必要ありません。

では、あなたにお聞きします。

あなたは、乞食を楽しめますか?

「我ただ足るを知る」
「われ以外みなわが師なり」

これを地で行く感覚。

こんなものは頭で考えて理屈で理解してもまったく意味がありませんし、かといって説法を聞いても、滝に打たれても得られません。

潜在意識の書き換えなんて、やったところで一生、書き換えられません。

無理です。子供騙しじゃ、あるまいし。

僕も借金まみれで「まだまだ」「もっともっと」と必死にお金を追いかけ、「ツイてる!憑いてる!」と必死に1日に1000回も1万回もカラ念仏を唱えて「正の字」をつけている時は、まったく、貧乏を楽しめませんでした。

むしろ、うつ状態。悪化の一途。

仕事が嫌いで、楽して稼ぎたかった。一刻も早く、セミリタイアをしたかったのです。

「自動売買!」「不労所得!」「権利収入!」「億り人!」「ファイヤー!」「シンガポール!」「ドバイ!」「M&A!」「バイアウト!」と必死に誰かの真似をして、必死に誰かの後を追いかけ、必死に見えない敵と戦っていました。

心が貧しかったのです。

今は違います。

絶望的な危機を乗り越え、新たな希望を掴みました。

まさに「グレート・リセット」「偉大なる再生」です。

絶望的な危機と地獄のような苦しみを味わったことで、自分の中に眠っていた「叡智」が開花しました。

言い換えると。

自分の中に眠っていた「叡智」が開花したからこそ、乗り切れた。

それも、ひとえに、日頃から、自分に問いかける癖をつけ、自ら気づき、思い込みを手放し、現実を変える、ということをやり続けてきたからです。

到底、一朝一夕では身につきません。

見るだけ
聴くだけ
飲むだけ
塗るだけ
身につけるだけ
唱えるだけ

なんて、あるわけがない。

2024年4月。忘れかけていた何年振りかの春。のどかな昼間。

僕はまるで台風一過のような清々しい気持ちで、スーパーの裏にある丸いテーブルに座り、お年寄りに混ざって、桜を眺めながら安いナポリタンとたこ焼きを買って少し遅い昼食をとりました。

家計簿アプリには「516円」と入力。すっかり、家計簿アプリが友達です。

年寄りって、耳が遠いじゃないですか?だから声がデカいんですよ。

窓ガラスにビシビシ響くほどものすごい、デカい声で喋っています。

どうやら、何かをあげようとしているようです。

「これ、やるべぇか!?」

「え゛!?」

「これ、やるべぇか!?」

「え゛!?」

「だ・か・ら!!!こっ」

「あ゛!いらない、いらない!!」

「いいから、持っていけばいいだんべぇ!!!な゛!?」

「うん!そうしとく!!!」

最初から黙って受け取っておけよ、と。

「声がデケェなぁ。鼓膜が破れるわ」と思いながら、微笑ましく筒抜けの会話を聞いています。

田舎の年寄りの他愛のない会話です。

スーパーの裏手のテーブルで。

安いナポリタンを食べていると時々、ふわっと春風が髪を撫でます。

川のせせらぎを聴きながら。遠くで、子供たちがはしゃぐ声が聞こえてきます。

10年以上も前、うちの子供たちも遊んだ公園。

30年以上前は、自分もおじいちゃんと手を繋いで遊んだ公園。

のどかで、最高ですよ。

「ここからやり直す」ではなく、

「ずっとこのままでいいのかもしれない」

いえ。

「最初からこれでよかったのかもしれない。」

そんなふうにすら感じます。

グンマーのツトムクルーズがグンマーの乞食に大変身。

僕が20年前の宮沢りえなら「ぶっとびー」と叫んでいることでしょう。

いや、もう、ぶっ飛びたくない。

(というか、もはや若い人には通じないオヤジギャグですね)

さて。

雪が溶けると何になる?

そう。

春になる。

僕にとって本当の春が来ました。

人生の春です。

「もう、これ以上、札束を燃やして走らなくていい。」

札束を燃やして走り続けるような疲弊する「終わりのない集客」から解放された僕は、また1つ新たな自由を手に入れました。

あなたは人生の春を満喫していますか?

一緒に人生の春を迎えませんか?

あなたにも、この台風一過のような清々しさを味わってほしい。

心の底からの自由と愛を感じてほしい。

生きる喜びを思う存分、感じてほしい。

内側から湧き上がり、ほと走る生きる喜びを思い切り、味ってほしい。

一度しかない、尊い人生ですから。

そのためにも、あなたの中にもある「叡智」を呼び起こしてほしいのです。

あなたの中にもある「叡智」を開けば、誰だって、僕のようになれます。